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恐かった話
初めての北海道への仕事だった。苫小牧でフェリーを下りると雨、軽い船酔いもあって少し休みたかったが、雪よりましだし、急ぎの仕事と諦めて走り出した。ひたすら国道235号線を襟裳岬で有名なえりも町へ向かって走っていると、前方で雷光が見え、雷鳴が聞こえ始めている。雨だけなら未だしも、嵐のおまけ付きですか、と、それでも急ぎと走り続けていると、見たこともない大波が道路までかぶっているのが見えた。「うそだろう!」と波の遠く手前で一端停止。
道路の真ん中へ停止したのだが、ここへ来る途中、苫小牧の町を出て暫くしてからすれ違った車は、4トントラック1台だけ。前も後ろもヘッドランプもテールランプもしばらくの時間拝んでない。だから道路の真ん中。なんだかタヌキかキツネにでも化かされているような気分。
しばらく待ってみる。軽や普通乗用車では話にならないが、というよりこの時間、走っている気配もないが、大型トラックでも通ってくれれば波の状態も、もう少しわかると待ってみたのだが来るようすはない。どう考えてもあの大波では、荷物まで入れたって1トンにも充たない軽トラックの私は、ひとのみで海の中のもくずと消える。
すこし近くへよってみる。軽トラックの屋根を軽く越えている大きな波が来ているのわかる。回り道も考えたが一旦手前の町へ戻り、遠回りで山道になる。雪が残っている土地カンのない山道を走るのは危険だ。目の前の大波さえ越えられれば、その先に大波はないようである。どのくらい時間がたっただろう。波をジッと見ていたら、一定の間隔で大波が来ているのがわかった。次の大波が来た時がチャンス。大波が来たのを見てアクセル全開。何とか死なずにすんだ。国道235号線から国道336号線へ。
えりも町を過ぎても車にはあうことはなく移動を続け、天気も気がつくと良くなっており、満天の星が空をおおっていた。どこまでが星で、どこからが人家の明かりなのか区別がつかない地平線を見つめながら、えりも町からどのくらい走ったのか、やっとすれ違ったものがあった。それは、突然視界に入った。「犬」、いや違う!「キタキツネだ!」と、初めて見た感動と驚きに胸は高鳴った。まさか道路で、それも夜の夜中のライト越しにすれ違うとは思ってもみなかった。しかし、車を止めている時間はない。それに止まってもそこにいてくれる保証はなく、キタキツネだけじゃなくクマでもいたら、それこそ命の保証はない。クマのマークが入った道路標識をいくつも見てきた。今度すれ違うのはクマか?。北海道の道路は自然がいっぱいなのである。キタキツネ、そのうちまた会えるだろうと星を見上げながら諦めてまた走る。
しかし、のどを癒してくれる自販機が少ない。少ないだけならまだしも、あっても販売中止になっている。まさかこんなにないとは思ってもみず、苫小牧を出る時にたくさん買っておけば良かったと悔やむ。もう一つの問題があった。燃料である。自販機もなかったがガソリンスタンドもなかったのである。北海道の仕事はこの時初めてである。なめていたのかもしれない。予備のガソリンタンクを持っていなかった。外はまだ寒い。車の中でさえかなりの寒さを感じる。この寒さの中で燃料切れ、周りに家らしきものはない。確実に明日の朝刊は間に合わずとも夕刊には載る、と、途中、何度もモーテルにでも泊まってしまおうかと思いながら走ってきた。
やっと自販機に出会ったのは苫小牧を出て何時間と走り続け、現着目標の釧路のかなり手前の国道沿いであった。こんな仕事をしているので咽の乾きには慣れている。ほとんど飲まず食わずで走り続けてしまうことが結構ある。でも、この時の自販機は、咽の癒しより気持ちを癒してもらった気がする。そしてもう一つの問題、ガソリンスタンドももう少しがんばれば釧路だというところでやっとあった。この時の明かりもなんともいえない、懐かしさにも思えるものだった。
ガソリンも満タンにし、釧路の町の中にあるモーテルで仮眠を取る。車の中では狭いのと、朝起きたら雪の中で、一酸化炭素中毒ではかっこわるいと思った。本州からここまでマトモに寝てなかった。仮眠を2〜3時間とったところで、釧路からちょっと離れたところへ荷物を下ろし、帰りに釧路湿原へ寄り、散歩や食事をし、帰路についた。
帰りはルートを変えて浦幌町から国道38号線を帯広方面へと向かった。雲はあったが、昨日とうって変わっていい天気に恵まれた。そこからはだんだんと十勝平野が広がっていき、地平線が見えるようになっていく。本州では水平線と山の稜線は見ることは幾度とあるが、地平線を見ることは初めてである。さすがに「北海道、でっかいどう」言ってしまいそうになる。いや、気持ちの中では言ってしまっていた。
帯広市内のコンビニでちょっと買い物をし、芽室町から清水町へ入ろうという頃になって空模様がおかしくなってきた。雪が舞ってきたのである。かなり嫌な感じ。それは当ってしまった。清水町から国道274号線で日高町経由で門別町へ出ようとしていたのだが、日勝峠を越えなければならない。清水町のガソリンスタンドで満タンにし、覚悟をきめる。チェーンは持ってきていたので雪がひどくなってきたら、道路脇のチェーン脱着所で着ければ良いと走り出した。
山を上りはじめると雪はすごさを増し、周りの雪の高さも高くなってきた。それでもまだ路面に雪は積もってないし大丈夫だろうと、最初のチェーン脱着所を素通りし、後ろから大型トラックに押されるように山を上っていった。しかし、それが間違いだったと気付いた時にはもう遅かった。もうちょっと上にもあるはずだと思っていたチェーン脱着所は、2つ目はなかったのか、それとも最初の1つしかなかったのか、見つけることは出来なかった。いくら四駆といえど、夏タイヤでチェーンなし、ガードレールへ突っ込んでいる、谷底へ落ちて死んでいる、イメージが頭に描かれた。
左端を走るしかないが、登坂車線はいつまでも続くわけでもなく、この車線は大型トラックが追ってくる。すぐ脇を「何をとろとろ走っているんだ!」とでも言いたげに、冬タイヤを履いた乗用車がすごいスピードで抜き去っていく。それでも上りはまだ良かった。下り始めてすぐ、悲鳴を上げそうになった。道路はしっかりアイスバーンと圧雪氷である。それも、この道は断がい絶壁の所を走っている。ガードレールをちらっと見た。こんなガードレールなど無いに等しいと思いながら車をゆっくり、ゆっくり走らせる。
後ろの大型トラック、さすがにこちらの異常に気がついたのか、それともそれがこのトラック運転手のいつものパターンなのか、バックミラーで見ると車間距離をかなり大きくとっている。地元のトラックドライバーでこの道をよく知っているのか、助かる。私も前の車との車間距離を極端にとった。500m位とったがそれでも真直ぐのすごい坂道、スリップしたが最後、前の車に突っ込むのがイメージ出来た。その時、谷底から突風が吹き上がってきて、私の車を揺らした。瞬間、私の車の後輪は谷底へ向け横滑りした。ガードレール直前で何とか踏み止まってくれたが、「終った!」と思った瞬間だった。日高町の里へ下りてくるまで何回も、心臓を縮み上がらせてくれた突風だった。
日高町の里でガソリンスタンドを見つけガソリンを入れる時、全身が冷や汗でびっしょり濡れていることがわかった。手から汗が落ちるぐらいである。こんな仕事をしているのでかなり危ない目にはあっているが、こんな経験生まれて初めてである。もう2度と冬にこの日勝峠を越えるようなことはしないと誓った瞬間でもあった。
それからは特に危ない目にもあわずに国道237号線から国道235号線を走って苫小牧に着いた。ガソリンスタンドを探して入ると店員さんが「夏タイヤは危ないので冬タイヤいかがですか?」と聞かれた。しかし、苫小牧にはもう雪がなく後はフェリーに乗るだけだったのでいらないといい「これで、チェーンなしで日勝峠を越えてきた」と言ったら「気狂いか」と言われた。命があった。それだけで何でも許せる。
ガソリン満タンで、フェリー乗り場の2階の食堂でラーメンを食べ、フェリーに乗り込む。帰りは疲れたので2等船室をとった。相部屋になったのが青森の親戚へ行くという母子であった。フェリーに弱いというと、ほとんど揺れないのにと、誰もがいう台詞を息子はいっていた。
息子も北海道でトラックを乗っているということで話が弾んだ。日勝峠を越えてきた話をすると息子は、日勝峠は年間20〜30人は死んでいるらしく、地元の者でも冬はよほどの事がないと通らないとの話で、普通でもあまり通らないようにしているとのこと。息子さんの同僚は幽霊を見てしまったらしく、どんなに急ぎでもあそこは通らないということだった。話を聞き、背筋の寒くなるのを感じながら、本当によく無事だったなあ、と思う旅だった。
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