橘郷造神社



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●玉造町羽生

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祭神
「弟橘姫」
所在地
茨城県行方郡玉造町羽生1390
由緒沿革
 当神社は、玉造町内国道355号線から城之内桃浦停車場線を小川町方面へ向かった道沿いにある。
 参道入口付近に弟橘姫の像が建立されており、そこには「倭武尊が、東国征伐に船で相模国から上総国へ渡る時でした。海が荒れ狂い、今にも船が沈みそうになりました。女の人が船に乗っている為、海の神の怒りによるものと、弟橘姫は自ら生け贄となって、嵐の海に飛び込みました。すると、荒れ狂っていた海が静かになり、倭武尊達は、無事たどり着くことができました。それから何日かの後、弟橘姫の神にさしていた笄が、霞ヶ浦に流され岸辺に打ち上げられました。流れ着いた笄を守るかのように魚が群がっていたり、その笄は羽を生やして飛んだともいわれています。笄の飛んでいったところを笄崎と名付け、神社を建てて笄を納め、弟橘姫の霊を祀ったということです。羽生や立花(橘)という地名は、こうして生まれたと言われています。」(玉造町教育委員会)との記述がある。
 万葉集では「橘の下吹く風の香しき筑波の山を恋ひずあらめかも」と読まれており、矢作幸雄著『古代筑波の謎』によれば、防人の詠める歌とされるが、橘郷造神社の奉祀する占部の神人を作者として推定されている。




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