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祭神
「級長津彦命・面足命・惶根命」
所在地
茨城県久慈郡大子町大字下野宮1626
由緒沿革
文武天皇の御宇慶雲4年池田鏡城主藤原富得の勧請。朝廷より神鏡・霊剣・金鈴を奉られたと伝えられている(社伝)。御冷水天皇の御宇天喜5年、源義家・安倍頼時を討つにあたり、当社に参籠して宝刀を納め祈願され、依上の地において、3000貫文の社領を付与された。御鳥羽天皇の建武年間、出社の制を定められた神鉾を霊璽として保内郷(大子町)各正和番に出社することになった。後に水戸藩となってからは、石鳥居の寄進があった。この鳥居は現存しており、大壇那水戸中納言頼房の文字が刻まれ、寛永11年甲戌2月7日とある。徳川光圀公から斎昭公に至るまで、21年毎の改造には、必ず材木の寄進があった。
当社は上野宮・町付の両近津神社と共に、保内42カ村総社として、近津三所(近津三社)大明神と尊称。
(由緒沿革は三社同じものを引用)
三社参り 上野宮・下野宮・町付の近津神社に大晦日の夜から元旦の早暁にかけて巡拝する風習。
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